はじめに

4月といえば、新年度、新学年、新社会人、新生活といった言葉の数々が表すように、何かの“始まり”を意識しやすい時期となっています。特に日本の学校や多くの企業などでは、4月から3月を一つの年度として考えるのが慣習となっていますので、様々な形で“始まり”を経験されている方は多いと思います。しかし、個人個人の心の状態というものは、実はそうした状況と全く同じスピードで動いているというものではありませんよね。ここでは、そうした“始まり”を意識する時期における心理的影響について、考えてみたいと思います。

踏み出せる感覚と、気負う感覚

例えば、学校、会社、その他様々なコミュニティの中に新たに身を置くことだけでなく、結婚や出産といった新たなライフステージを迎えるようなとき、人は自分の社会的立場を改めて意識することとなります。そうした新たな時期を迎えるタイミングでは、何かに背中を押されるように感じられたり、今までとは違う新鮮な気持ちを覚えたり、思い切って一歩踏み出せたり、といったことに繋がりやすくなるかもしれません。

しかし一方で、この“始まり”という時期を意識し過ぎると、例えば、前を向かなければならないといったような気負いを抱えやすくなることもあるのではないでしょうか。本当はそこにまだ追いついていけない気後れする感じや、周りから置いていかれないよう適応しなければ、という焦りを伴うこともあるかもしれません。こうした焦りのような不安を覚えること自体は、決して悪いことではないのです。新たな場やステージに身を置けば、慣れない感覚が生まれるのは当然ですので、不安を覚えること自体は自然なことだからです。また、ある程度適応しなければ物事が進まないこともあり、場に慣れるために自らを適応させようという努力の表れでもあると思います。

自分軸と他人軸のバランス

ただ、人の心の成長や、心の在り方というものを考えた時、それは至極個人的なものであり、周りから画一的にみられるものでは決してありません。心の成長の在り方は、その人がそこに至るまでの歴史の積み重ねによってつくられるものであり、そもそも他人と比べ合うものではないのです。ですので、新たな時期を迎えたとき、自分と他人を“適度に”切り離し、自分は自分のペースがあるはず、という自分軸をうまく見出していければいいのですが、新たな場に適応しようとするがために、周りを見過ぎて意識し過ぎると、次第に“自分でいる”という感覚が薄れてしまいがちになるかもしれません。他人軸に捉われがちな状態、とも言い変えられるでしょう。そうなると、どこか無理をしていたり、疲れを覚えることがあるかもしれません。心の余裕がなくなっている状況ともいえそうです。

もちろん、その時、その場で適応するために、周りのペースを“適度に”知ったり意識することも大事な姿勢なのですが、周りがどう判断するか、という意識に偏り過ぎてしまわず、“自分は”どうしたいのか、“自分は”どうありたいのか、といった、自分軸がどのような面を持っているのかを知っていることは、自分を見失わないために大切なのだろうと思います。

しかしこの、自分が何を求めているのかを知る、という作業ですが、新たな時期を経験することに必死になっているような状況では、なかなか容易にいくものではないかもしれません。自分がどうありたいかなどという感覚は、むしろ置き去りにしてしまいがちかもしれません。また、新たな現実を生きなければと強く思うほど、その場から後戻りしてしまうように思え、避けてしまうかもしれません。

おわりに

もし、新たな生活の中で“自分軸”が分からなくなり、どこか居心地の悪さを感じることが続くようであれば、心のバランスを考えたとき、その方にとってはあまり良い形にはなっていないといえそうです。ましてや、もともと周りのことが気になりやすい傾向があるならば、なおのことです。そうであれば、そのまま突き進むのではなく、一度立ち止まることがご自分の心を守るために有益かもしれません。自分に何が起きているのか、そのことが自分にとってどのような意味となっているのか、といったことを考えていくタイミングとして、カウンセリングや心理療法がお役にたてるのではないかと思います。自分軸ってどのような面があるのか、見つけたり、知っていくための場を提供させていただき、自分がどうありたいのか、ということを主体的に考えられるよう、お手伝いさせていただければと思っています。

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